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立場的に邪魔になったのは確かとはいえ、正史三国志の孔明の言い放った「成功するにしても失敗するにしても戻ってきたら処刑しましょう」が高校時代衝撃的だった。最後の言葉も「孟達の言うとおりにしていれば・・・・」だったわけだし、これだけ報われない人も珍しい
劉封大好きになったよ。不器用だけど、かっこいいまさに悲運の将だよね
光栄三国志1のシナリオ1で、突発事態で劉備が急死し、やむなく養子とはいえ劉封を後継君主にして後、ほぼ10年がかりで天下統一を成し遂げた遠い日の記憶(五虎・諸葛亮も健在で)。「英雄劉封は見事その志を果たした」
なまじ有能だったのが命取りになりましたね…
結局、劉備に見込まれた時点で劉封の命運は決まってたということか・・。
劉封は豊臣秀次とイメージが重なりますね。養子になった後に実子が生まれて邪魔になって最後は死罪…
蜀って、豊臣秀吉の政権と被ってますよね。劉備=豊臣秀吉諸葛亮=石田三成関羽=加藤清正張飛=福島正則劉封=豊臣秀次法正=黒田官兵衛孟達=小早川秀秋や脇坂安治劉禅=豊臣秀頼ってな具合に。
豊臣秀吉の養子、殺生関白と言われた豊臣秀次と同じですね。彼も、秀吉が実子とされる秀頼ができたことで、煙たがられ、全くの濡れ衣を着せられて処刑されました。今に伝わる彼の悪行は全てウソで、類まれな名将、有能な人だったようです。
戦績について長久手の大敗だけで語られることが多いけど、それ以外は全部勝ってますからね。
切れすぎる刀は、却って疎まれる。そして報われない忠義の士でしたね。
邪魔になった劉邦を激戦地に置き、戦死してくれれば英雄、勝てば蜀の国益。そして処刑の理由を諸葛亮に言わせれば劉備は徳を失わなくて済む勇猛だからこそ扱い難かったということか。有能であれば文官になり許靖の後釜くらいにはなれたかもしれないしかしそれは生きながら死んでいるようなもの、根が武である劉邦にはどだい無理だったか・・
劉備や孔明が劉封に対してした仕打ちを考えると、劉備が何で善人のような扱いになるのかわからない。そんな時代って言えばそうなんだけど、そこに情はないのかと……
古今東西、世継ぎに保険を設けると悲劇を生むことが多い……
本当に義理堅い人間ほど昔って短命なのが辛い。まぁ劉封が跡継ぎとして適任だったのかはともかくとして、劉禅の補佐には適任だったと思う。人を見る目があっても曹操のように人の使い方が上手くないのが劉備。そして人を見る目が全然駄目なのが諸葛亮というのがよくわかったわ
こういうことを言ったら駄目なんでしょうが…何も殺す事は無かったですよね…一途でカッコいい将軍だと思います。現代であれば、間違いなく、跡取りになっていたのは劉對でしょが…
劉禅も「兄さんなら」と納得してのんびりボンボンやっていそう😅
列挙するとキリがないですが中国史では苦境に立たされ裏切る道もあったにも関わらず義を重んじて裏切らずに結局は処罰される不遇な人のなんと多きことか人としてはありなのかも知れないですが人の上に立つ身においてはもっと苛烈な選択が必要なのかも知れません
韓信とかそうですもんね・・・なぜかみんな最後に「〇〇の言う通りにしておけば・・・ぐはっ」なんですよ。しかも歴史というのは非情で、勝てば官軍、負ければ賊軍でボロクソ書かれて終わってしまう。まあ軍才や仁義があっても大局観が乏しい人も多かったんでしょうね、こちらは才能とは別なので。
惜しすぎる。それにしても、魏延といい諸葛亮は惜しい人材をあっさり捨てすぎる。もし劉封を生かしていれば、制御困難でも、北伐で活躍しただろうに。
普通に可哀想な人やったな・・・・ただ、孟達と一緒に魏に亡命しても曹丕が居なくなったら孟達と同じ末路だったのかそれとも違う末路になるのか
劉封抹殺を進言した孔明に「劉禅に才がなければ君が継げ」と遺言する劉備も中々黒いですね。
up主様、こんにちは。劉封の解説お疲れ様でした。私は劉封が帝位を継いだ方が良かったという見解ですね。しかし、劉禅を名君説を取らなくても、必ずしも暗君とみる必要はないと思います。特に晩年の地方での豪遊にみえる振る舞いには中小企業の社長が接待をしながらなんとか仕事をもらおうと(北伐の同意を得ようと)してやっていた感があり、蜀が滅びた263年にはもう限界な感じがあった感じなので😥
藤堂高虎も丹羽長秀の息子高吉を養子にしたけど関ヶ原の翌年に実子が生まれたのと重なってしまう。
劉封わりと好きだったけど養子じゃ帝位にはつけないよね
劉備の選んだ養子、長男という立場、蜀に荊州派閥と益州派閥が存在したことを考えると、劉封派、劉禅派で家臣団が割れてお家騒動で劉封が帝位を継ぐ可能性はあったと思います。全ては母方が劉姓なだけの劉封を養子に迎えてしまった劉備が悪いのです。
関羽を見捨てた所で命運が尽きていたと言う事だと思う。
陳寿が魏に甘く蜀に手厳しいというのは違和感がありますが。むしろ蜀漢びいきだと思います。
劉封は、諸葛亮が劉備が近い将来亡くなった場合の事を考えた上で、関羽を救援しなかった事にかこつけて、劉備に対し処刑するよう進言したのかもしれませんね。劉備は劉封の事をかっていたと思うので、そういった事がなければ処刑されなかったかもしれません。上記の理由として、立場的に劉備の死後生きてた場合、劉備の遺詔で劉禅が後を継いでも、幼主に不安を感じる勢力(武官中心)に推戴される、という様な事も起きえたのかな?と。諸葛亮が、自分の意のままにならない、と思ったんでしょうね。
なまじ有能だったからの悲劇
不運な人だな。でも後継者争いから御家騒動なんて、孫権の晩年みたいな事態になってたら蜀の命運が危うかったかも。生きている限り“劉備の養子”という立場を他者に利用される劉封を、助けられる選択はもう無かったのだろう。なんとなく徳川家康の「信康事件」を思い出してしまった。
最近のコーエーの三国志の悲壮感が漂う劉封の顔グラを見ると心が痛む・・・
動画いつも拝見させていただいております!もしよければ鮑信を解説していただけないでしょうか?!
40代半ば以降に劉禅、劉永、劉理と3人も老いてますますお盛んw
後から人材不足で悩んだら世話ないな。(´・ω・`)
久しぶりに来たと思ったら大好きな武将でめっちゃ嬉しいです! 子供の時に読んだ三国志で劉封が死罪になる理由が全く分からず、諸葛亮のことが大嫌いになりました。でも今では、放浪の身から一国を持ち、君主の立場に変わった劉備的にはここで殺しておくのは悪い選択じゃないと感じます。汚くなったなぁ笑
ひさしぶりの本編そして霊夢と魔理沙だ!
正直、劉備が劉邦処刑したとき引いた関羽に援軍出さなかったのは責められるいわれないし
諸葛亮・法正・劉巴・李厳・伊籍が制定した蜀科の下、いわば立憲君主制の国家のような蜀漢において、君主としては劉封よりも劉禅の方が優れていたと思います。また、性格的にも立場的にも劉封は、君主にならずとも将としても魏延以上に扱い辛い存在だったかと。それと、劉封晩年には劉禅の他に劉永劉理もいますから後継者としては彼らより下位と考えられます。兵の将たる素質はあっただけに、ただただ、『劉』封であったことが悔やまれる人物だな、と思います。
乱世に生きるには真っ直ぐすぎたかもね。
陳寿の厳しい評は正しい。義に死すか、利に生きるか。魏に降伏すればある程度の地位は確保されただろうけどその後はどうなんだろう?おそらく諸葛亮の人材統率は崩せないだろうし、後の壮絶な魏の権力争いを生き残れるかも問題。やはりそのままフェードアウトしたまま「演義」で悲惨な死に方をさせられるのがオチ、と予想します。
孟達の手紙に真実と戦友である本心があり涙した、との部分に違和感が……。優しさというより、ただ単に自分のポイント稼ぎのために劉封の弱みにつけこんだだけの内容にしか思えない。うまく降伏してくれたら自分の手柄になるしね。悪魔はここぞというときに優しいという言葉もあるし孟達の生涯をみると有能ではあるが、自分本位の生き方で忠義とは無縁のようだし。私個人の感想ですけど
孟達も裏切りのせいで過小評価されがちに思えるが、そこ以外は案外マトモなリアリストだったのかも知れない。魏でもおだてなのか本心なのかはともかく、重用されてはいたららしいし。そんな奴が理屈を説いても、制御不能な直情型には通用しなかっただけとも…
@@yamasiyama 仮に劉封が魏に降伏してたら、茨の道どころか辱めを受けて憤死してそう。養子とはいえ、劉備の息子が「やらかしをやって、父が激怒して、蜀に居場所ないから、魏に仕えたいです」なんて、いい笑いものにされそうな気が。この時の魏の君主は曹ヒ。蜀に降伏して呉経由で帰国した于禁の最後を考えると明るい未来を想像できないんだね。そして孟達は良い意味でも悪い意味でも徹底したリアリストだし、理由をつけて、交際を絶ちそう。
@@だてまさむね-f2m 軍師達が蜀での扱いはどうだったのかとか探りを入れてきて、劉備亡き後に蜀の分裂を誘う道具にするために温存され、当面は嫌み言われつつも、酒飲み友達として大事にされるかも知れない。劉禅時代になったらお飾りの総大将とかに据えて、魏は蜀奪還の支援をするとかの名目で…理想的に進めばの可能性だが、そんな大きな分岐点になる事を考えると、諸葛亮の立場としては殺すしか無かったんだろうなぁ…孟達は劉封が魏に気に入られてれば一緒に居て、立場が怪しくなったらすぐに鞍替えしそうではある。
親が死んだら数年喪に服すのが当然で美徳とされた時代。義理とは言え親を裏切ってしまった人間が信用されるはずがないんだな。呂布みたいな扱いになる。
龐徳を紹介してください!
遠山の金さんは、父親の養子(義兄)の養子になって家督を継いだ。劉備も、そうすればよかったのに。豊臣秀吉は、甥の秀次を切腹させて実子の秀頼に家を継がせた。甥と云えば、張飛は曹操の義理の甥だった。張飛の妻が、曹操の姪(従兄弟の娘)だからね。
日本で似た感じなのは、秀頼生まれあとの秀次かな。
孔明の罠か
劉備、47で長男誕生って結構遅いよな....兄や姉も何人かいたっぽいけど全員行方不明か死亡という....劉禅も途中2回ほど危なかったしまた産めばいい、というのは演義の創作っぽいとはいえ、実際そういう考えではあったのかもしれないいつ安定した拠点を築けるかわからん状況だったのも養子を採った要因だと思う(そんな状況で幼子をトップにするわけにはいかない)
劉封、地味だけど頑張ってたなぁ
蜀建国のために諸葛亮に利用された感じですね
劉封さんはマジ不憫すぎる
諸葛亮が自分の権力欲のために処分したんだな。劉封哀れ…………
14:40孔明がこんなこと言ってたなんて、初めて知った…失望したわ…明らかに戦死するように仕向けてる。劉琦の時のように劉封にも、「劉姓を返上する」とか助言すればよかったのでは?と思ってしまう。
劉備の息子が登場.次は関羽.張飛の息子になるのかな?
後ろ『雀魂』だ…。私もやってる
仲の悪かった孟達や降将を上手く操縦できていれば、劉備の後継者もワンチャンあった気がします。あと孟達は法正がいなくなり、益州閥は黄権いるし、大きな武功も蜀の政治改革にも関わってないので居場所が無かったのもあるのかな。
主と雀魂で卓を囲みたいですねぇ…
いっそ曹丕の養子になって曹封になったら…(わけわかめ
ピックアップされるなら関興と張ほうの二人かなぁ。横山三国志では張飛が戦死してから登場だけど劉封とは全く関係なかったんだろうか?
色んな蜀の武将を解説してる動画見てきたけど、その度に劉備は無能に思えてくる
三国志の登場人物は晩年が残念な人物が多いよな~。三國志のゲーム中ではそこそこ有能なので阿斗を廃して使えるのはスッとします。悲劇だからこそ名を残してる部分もあるので好きな武将です。
何となくだけど、歴史に出てくる劉姓の人は仁を重んじる人が多くてそれゆえに身を亡ぼすケースが多いね。感情論者で理性や合理性に乏しい一族なのかなと思う。
劉封自分も好きなんだけど演義の劉封の最後の顔が本当に可哀想で何回みても泣きたくなる😢劉備なにしてんねんってめっちゃイラついた
巻き込まれ属性の劣勢の人には、皺(しわ)って寄ってくるものだよね。(;==)
手紙の内容なんだけど出来すぎててその後の孟達の行動運命としっくりこない司馬懿あたりの代筆じゃないか?蜀の内情が筒抜けなのが諸葛亮が知ってそれが劉封の死の決め手になったと思う。
『蒼天航路』には劉禅の架空の実兄が登場し、長坂坡で戦死しますが、この人の存在意義がよく分かりません。この頃ならすでに劉封がいたはずなのに、実際に当人が本編に登場するのは終盤です。なぜ王欣太氏がこのような描き方をしたのか、さっぱり理解出来ません。
劉封には妻と子はいたの?
孟達の子、孟興。劉封の子、劉林。共に蜀に仕え滅亡後まで生きていますね…
さすがに連座で殺されることはなかったのか・・・・それだけは救いですね
@@あぼぼです 劉封に対しては(横山光輝三國志)だと処刑を命じたものの気が変わって中止をしようとして間に合わなかったというのがあったのでその影響かなぁ?と勝手な想像です
こんな事するから後々人材不足になるんだぞ。
おいらは魏が好きばい✧(σ๑˃̶̀ꇴ˂̶́)σ
趙雲が悪いよ趙雲がー
諸葛亮の讒言は極めて真っ当なもの。まさか殺されることはないだろうと甘く考えてた劉封では乱世の君主にはなりえない。
こんな話しを聞いたら、諸葛亮がちょっぴり嫌いになりました。
48歳のおじさんです、失礼なことを言います、僕の世代では三國志は吉川栄治さんの小説でした、横山さんのは、面白いですけどキャラクターが絵で見ると、ごっちゃになって挫折しました、私が漫画より、小説のほうが好きなだけですけどね、横山さんの張飛格好良いです神戸市営地下鉄の車両に、三國志の英雄が横山さんの絵でデザインされていたのは感動しました
将棋に凝り藤井聡太を寵愛してそう。藤井、劉禅の寵愛を受け快進撃
劉邦って、蜀で処刑されたの?初めて知ったわ。
日本人好みの悲劇の武将…なのだが、当時の人々から見ると「むざむざ劉備に義理とは言え息子殺しの不名誉を負わせた」「亡命出来なかったは甘え」になっちゃうのよね。陳寿の評は厳しいのではなく当然の感覚(陳寿は儒教は軽視してたじゃんと言うのはおいておいて)。
自分は中国の正閏論にとらわれていないから、三國も後漢西晋にも好きな人物はいるなぁ。諸葛も関羽も呂蒙も好きだよ。孫権はそれ程だけど、張昭は好き。諸葛と呂蒙と張昭は歳を重ねるごとに好きになる。曹丕は嫌いだったが近年はなかなかに味があると思える。諸葛亮は法家の徒だから、劉封のような存在を危ぶむのは自然に思える。朱績が施績に戻ったように、寇封に戻ることが出来れば、あるいはとは言え劉封は、それなりに事跡が残っているのに、字が不明という。典韋にしろ劉封にしろ、彼らの字はいつどこで失伝したんだよ
魏が好きなので。養子を切り捨てる劉備と諸葛亮酷い。実子が可愛いのは分からないでもないが、歴史の結果は大失敗だし。
劉禅は景公と似てますよね、本人は無能(だったかも?)だけど政治を任せた人が有能で生き延びていくという、、ヒイが暗殺されてからはトントン拍子でしたが、、(´・ω・`)
立場的に邪魔になったのは確かとはいえ、正史三国志の孔明の言い放った「成功するにしても失敗するにしても戻ってきたら処刑しましょう」が高校時代衝撃的だった。最後の言葉も「孟達の言うとおりにしていれば・・・・」だったわけだし、これだけ報われない人も珍しい
劉封大好きになったよ。
不器用だけど、かっこいいまさに悲運の将だよね
光栄三国志1のシナリオ1で、突発事態で劉備が急死し、やむなく養子とはいえ劉封を後継君主にして後、ほぼ10年がかりで天下統一を成し遂げた遠い日の記憶(五虎・諸葛亮も健在で)。
「英雄劉封は見事その志を果たした」
なまじ有能だったのが命取りになりましたね…
結局、劉備に見込まれた時点で劉封の命運は決まってたということか・・。
劉封は豊臣秀次とイメージが重なりますね。
養子になった後に実子が生まれて邪魔になって最後は死罪…
蜀って、豊臣秀吉の政権と被ってますよね。
劉備=豊臣秀吉
諸葛亮=石田三成
関羽=加藤清正
張飛=福島正則
劉封=豊臣秀次
法正=黒田官兵衛
孟達=小早川秀秋や脇坂安治
劉禅=豊臣秀頼
ってな具合に。
豊臣秀吉の養子、殺生関白と言われた豊臣秀次と同じですね。
彼も、秀吉が実子とされる秀頼ができたことで、煙たがられ、全くの濡れ衣を着せられて処刑されました。
今に伝わる彼の悪行は全てウソで、類まれな名将、有能な人だったようです。
戦績について長久手の大敗だけで語られることが多いけど、それ以外は全部勝ってますからね。
切れすぎる刀は、却って疎まれる。
そして報われない忠義の士でしたね。
邪魔になった劉邦を激戦地に置き、戦死してくれれば英雄、勝てば蜀の国益。そして処刑の理由を諸葛亮に言わせれば劉備は徳を失わなくて済む
勇猛だからこそ扱い難かったということか。有能であれば文官になり許靖の後釜くらいにはなれたかもしれない
しかしそれは生きながら死んでいるようなもの、根が武である劉邦にはどだい無理だったか・・
劉備や孔明が劉封に対してした仕打ちを考えると、劉備が何で善人のような扱いになるのかわからない。
そんな時代って言えばそうなんだけど、そこに情はないのかと……
古今東西、世継ぎに保険を設けると悲劇を生むことが多い……
本当に義理堅い人間ほど昔って短命なのが辛い。
まぁ劉封が跡継ぎとして適任だったのかはともかくとして、劉禅の補佐には適任だったと思う。人を見る目があっても曹操のように人の使い方が上手くないのが劉備。
そして人を見る目が全然駄目なのが諸葛亮というのがよくわかったわ
こういうことを言ったら駄目なんでしょうが…
何も殺す事は無かったですよね…
一途でカッコいい将軍だと思います。
現代であれば、間違いなく、跡取りになっていたのは劉對でしょが…
劉禅も「兄さんなら」と納得してのんびりボンボンやっていそう😅
列挙するとキリがないですが中国史では苦境に立たされ裏切る道もあったにも関わらず義を重んじて裏切らずに結局は処罰される不遇な人のなんと多きことか
人としてはありなのかも知れないですが人の上に立つ身においてはもっと苛烈な選択が必要なのかも知れません
韓信とかそうですもんね・・・なぜかみんな最後に「〇〇の言う通りにしておけば・・・ぐはっ」なんですよ。
しかも歴史というのは非情で、勝てば官軍、負ければ賊軍でボロクソ書かれて終わってしまう。
まあ軍才や仁義があっても大局観が乏しい人も多かったんでしょうね、こちらは才能とは別なので。
惜しすぎる。それにしても、魏延といい諸葛亮は惜しい人材をあっさり捨てすぎる。もし劉封を生かしていれば、制御困難でも、北伐で活躍しただろうに。
普通に可哀想な人やったな・・・・
ただ、孟達と一緒に魏に亡命しても曹丕が居なくなったら孟達と同じ末路だったのかそれとも違う末路になるのか
劉封抹殺を進言した孔明に「劉禅に才がなければ君が継げ」と遺言する劉備も中々黒いですね。
up主様、こんにちは。
劉封の解説お疲れ様でした。
私は劉封が帝位を継いだ方が良かったという見解ですね。
しかし、劉禅を名君説を取らなくても、必ずしも暗君とみる必要はないと思います。
特に晩年の地方での豪遊にみえる振る舞いには中小企業の社長が接待をしながらなんとか仕事をもらおうと(北伐の同意を得ようと)してやっていた感があり、蜀が滅びた263年にはもう限界な感じがあった感じなので😥
藤堂高虎も丹羽長秀の息子高吉を養子にしたけど関ヶ原の翌年に実子が生まれたのと
重なってしまう。
劉封わりと好きだったけど養子じゃ帝位にはつけないよね
劉備の選んだ養子、長男という立場、蜀に荊州派閥と益州派閥が存在したことを考えると、劉封派、劉禅派で家臣団が割れてお家騒動で劉封が帝位を継ぐ可能性はあったと思います。全ては母方が劉姓なだけの劉封を養子に迎えてしまった劉備が悪いのです。
関羽を見捨てた所で命運が尽きていたと言う事だと思う。
陳寿が魏に甘く蜀に手厳しいというのは違和感がありますが。
むしろ蜀漢びいきだと思います。
劉封は、諸葛亮が劉備が近い将来亡くなった場合の事を考えた上で、関羽を救援しなかった事にかこつけて、劉備に対し処刑するよう進言したのかもしれませんね。
劉備は劉封の事をかっていたと思うので、そういった事がなければ処刑されなかったかもしれません。
上記の理由として、立場的に劉備の死後生きてた場合、劉備の遺詔で劉禅が後を継いでも、幼主に不安を感じる勢力(武官中心)に推戴される、という様な事も起きえたのかな?と。
諸葛亮が、自分の意のままにならない、と思ったんでしょうね。
なまじ有能だったからの悲劇
不運な人だな。でも後継者争いから御家騒動なんて、孫権の晩年みたいな事態になってたら蜀の命運が危うかったかも。生きている限り“劉備の養子”という立場を他者に利用される劉封を、助けられる選択はもう無かったのだろう。なんとなく徳川家康の「信康事件」を思い出してしまった。
最近のコーエーの三国志の悲壮感が漂う劉封の顔グラを見ると心が痛む・・・
動画いつも拝見させていただいております!もしよければ鮑信を解説していただけないでしょうか?!
40代半ば以降に劉禅、劉永、劉理と3人も
老いてますますお盛んw
後から人材不足で
悩んだら世話ないな。(´・ω・`)
久しぶりに来たと思ったら大好きな武将でめっちゃ嬉しいです! 子供の時に読んだ三国志で劉封が死罪になる理由が全く分からず、諸葛亮のことが大嫌いになりました。でも今では、放浪の身から一国を持ち、君主の立場に変わった劉備的にはここで殺しておくのは悪い選択じゃないと感じます。汚くなったなぁ笑
ひさしぶりの本編そして霊夢と魔理沙だ!
正直、劉備が劉邦処刑したとき引いた
関羽に援軍出さなかったのは責められるいわれないし
諸葛亮・法正・劉巴・李厳・伊籍が制定した蜀科の下、いわば立憲君主制の国家のような蜀漢において、君主としては劉封よりも劉禅の方が優れていたと思います。
また、性格的にも立場的にも劉封は、君主にならずとも将としても魏延以上に扱い辛い存在だったかと。
それと、劉封晩年には劉禅の他に劉永劉理もいますから後継者としては彼らより下位と考えられます。
兵の将たる素質はあっただけに、ただただ、『劉』封であったことが悔やまれる人物だな、と思います。
乱世に生きるには真っ直ぐすぎたかもね。
陳寿の厳しい評は正しい。義に死すか、利に生きるか。魏に降伏すればある程度の地位は確保されただろうけどその後はどうなんだろう?おそらく諸葛亮の人材統率は崩せないだろうし、後の壮絶な魏の権力争いを生き残れるかも問題。やはりそのままフェードアウトしたまま「演義」で悲惨な死に方をさせられるのがオチ、と予想します。
孟達の手紙に真実と戦友である本心があり涙した、との部分に違和感が……。優しさというより、ただ単に自分のポイント稼ぎのために劉封の弱みにつけこんだだけの内容にしか思えない。うまく降伏してくれたら自分の手柄になるしね。悪魔はここぞというときに優しいという言葉もあるし
孟達の生涯をみると有能ではあるが、自分本位の生き方で忠義とは無縁のようだし。私個人の感想ですけど
孟達も裏切りのせいで過小評価されがちに思えるが、そこ以外は案外マトモなリアリストだったのかも知れない。
魏でもおだてなのか本心なのかはともかく、重用されてはいたららしいし。
そんな奴が理屈を説いても、制御不能な直情型には通用しなかっただけとも…
@@yamasiyama
仮に劉封が魏に降伏してたら、茨の道どころか辱めを受けて憤死してそう。養子とはいえ、劉備の息子が「やらかしをやって、父が激怒して、蜀に居場所ないから、魏に仕えたいです」なんて、いい笑いものにされそうな気が。この時の魏の君主は曹ヒ。蜀に降伏して呉経由で帰国した于禁の最後を考えると明るい未来を想像できないんだね。
そして孟達は良い意味でも悪い意味でも徹底したリアリストだし、理由をつけて、交際を絶ちそう。
@@だてまさむね-f2m
軍師達が蜀での扱いはどうだったのかとか探りを入れてきて、劉備亡き後に蜀の分裂を誘う道具にするために温存され、
当面は嫌み言われつつも、酒飲み友達として大事にされるかも知れない。
劉禅時代になったらお飾りの総大将とかに据えて、魏は蜀奪還の支援をするとかの名目で…
理想的に進めばの可能性だが、そんな大きな分岐点になる事を考えると、諸葛亮の立場としては殺すしか無かったんだろうなぁ…
孟達は劉封が魏に気に入られてれば一緒に居て、立場が怪しくなったらすぐに鞍替えしそうではある。
親が死んだら数年喪に服すのが当然で美徳とされた時代。
義理とは言え親を裏切ってしまった人間が信用されるはずがないんだな。
呂布みたいな扱いになる。
龐徳を紹介してください!
遠山の金さんは、父親の養子(義兄)の養子になって家督を継いだ。劉備も、そうすればよかったのに。
豊臣秀吉は、甥の秀次を切腹させて実子の秀頼に家を継がせた。
甥と云えば、張飛は曹操の義理の甥だった。張飛の妻が、曹操の姪(従兄弟の娘)だからね。
日本で似た感じなのは、秀頼生まれあとの秀次かな。
孔明の罠か
劉備、47で長男誕生って結構遅いよな....
兄や姉も何人かいたっぽいけど全員行方不明か死亡という....
劉禅も途中2回ほど危なかったし
また産めばいい、というのは演義の創作っぽいとはいえ、実際そういう考えではあったのかもしれない
いつ安定した拠点を築けるかわからん状況だったのも養子を採った要因だと思う(そんな状況で幼子をトップにするわけにはいかない)
劉封、地味だけど頑張ってたなぁ
蜀建国のために諸葛亮に利用された感じですね
劉封さんはマジ不憫すぎる
諸葛亮が自分の権力欲のために処分したんだな。劉封哀れ…………
14:40
孔明がこんなこと言ってたなんて、初めて知った…
失望したわ…
明らかに戦死するように仕向けてる。
劉琦の時のように劉封にも、
「劉姓を返上する」とか助言すればよかったのでは?と思ってしまう。
劉備の息子が登場.次は関羽.張飛の息子になるのかな?
後ろ『雀魂』だ…。私もやってる
仲の悪かった孟達や降将を上手く操縦できていれば、劉備の後継者もワンチャンあった気がします。
あと孟達は法正がいなくなり、益州閥は黄権いるし、
大きな武功も蜀の政治改革にも関わってないので居場所が無かったのもあるのかな。
主と雀魂で卓を囲みたいですねぇ…
いっそ曹丕の養子になって曹封になったら…(わけわかめ
ピックアップされるなら関興と張ほうの二人かなぁ。
横山三国志では張飛が戦死してから登場だけど劉封とは全く関係なかったんだろうか?
色んな蜀の武将を解説してる動画見てきたけど、その度に劉備は無能に思えてくる
三国志の登場人物は晩年が残念な人物が多いよな~。三國志のゲーム中ではそこそこ有能なので阿斗を廃して使えるのはスッとします。悲劇だからこそ名を残してる部分もあるので好きな武将です。
何となくだけど、歴史に出てくる劉姓の人は仁を重んじる人が多くてそれゆえに身を亡ぼすケースが多いね。感情論者で理性や合理性に乏しい一族なのかなと思う。
劉封自分も好きなんだけど演義の劉封の最後の顔が本当に可哀想で何回みても泣きたくなる😢
劉備なにしてんねんってめっちゃイラついた
巻き込まれ属性の劣勢の人には、皺(しわ)って寄ってくるものだよね。(;==)
手紙の内容なんだけど出来すぎててその後の孟達の行動運命としっくりこない
司馬懿あたりの代筆じゃないか?蜀の内情が筒抜けなのが諸葛亮が知って
それが劉封の死の決め手になったと思う。
『蒼天航路』には劉禅の架空の実兄が登場し、長坂坡で戦死しますが、この人の存在意義がよく分かりません。この頃ならすでに劉封がいたはずなのに、実際に当人が本編に登場するのは終盤です。なぜ王欣太氏がこのような描き方をしたのか、さっぱり理解出来ません。
劉封には妻と子はいたの?
孟達の子、孟興。劉封の子、劉林。共に蜀に仕え滅亡後まで生きていますね…
さすがに連座で殺されることはなかったのか・・・・それだけは救いですね
@@あぼぼです 劉封に対しては(横山光輝三國志)だと処刑を命じたものの気が変わって中止をしようとして間に合わなかったというのがあったのでその影響かなぁ?と勝手な想像です
こんな事するから後々人材不足になるんだぞ。
おいらは魏が好きばい
✧(σ๑˃̶̀ꇴ˂̶́)σ
趙雲が悪いよ趙雲がー
諸葛亮の讒言は極めて真っ当なもの。
まさか殺されることはないだろうと甘く考えてた劉封では乱世の君主にはなりえない。
こんな話しを聞いたら、諸葛亮がちょっぴり嫌いになりました。
48歳のおじさんです、失礼なことを
言います、僕の世代では三國志は吉川栄治さんの小説でした、横山さんのは、面白いですけどキャラクターが絵で見ると、ごっちゃになって挫折しました、私が漫画より、小説のほうが好きなだけですけどね、横山さんの張飛格好良いです神戸市営地下鉄の車両に、三國志の英雄が横山さんの絵でデザインされていたのは感動しました
将棋に凝り藤井聡太を寵愛してそう。藤井、劉禅の寵愛を受け快進撃
劉邦って、蜀で処刑されたの?初めて知ったわ。
日本人好みの悲劇の武将…なのだが、当時の人々から見ると「むざむざ劉備に義理とは言え息子殺しの不名誉を負わせた」「亡命出来なかったは甘え」になっちゃうのよね。陳寿の評は厳しいのではなく当然の感覚(陳寿は儒教は軽視してたじゃんと言うのはおいておいて)。
自分は中国の正閏論にとらわれていないから、三國も後漢西晋にも好きな人物はいるなぁ。
諸葛も関羽も呂蒙も好きだよ。孫権はそれ程だけど、張昭は好き。諸葛と呂蒙と張昭は歳を重ねるごとに好きになる。
曹丕は嫌いだったが近年はなかなかに味があると思える。
諸葛亮は法家の徒だから、劉封のような存在を危ぶむのは自然に思える。朱績が施績に戻ったように、寇封に戻ることが出来れば、あるいは
とは言え劉封は、それなりに事跡が残っているのに、字が不明という。典韋にしろ劉封にしろ、彼らの字はいつどこで失伝したんだよ
魏が好きなので。
養子を切り捨てる劉備と諸葛亮酷い。
実子が可愛いのは分からないでもないが、歴史の結果は大失敗だし。
劉禅は景公と似てますよね、本人は無能(だったかも?)だけど政治を任せた人が有能で生き延びていくという、、ヒイが暗殺されてからはトントン拍子でしたが、、(´・ω・`)